(ここから先は田口トモロヲ口調でお読みください) 某日、大阪のど真ん中、とある割烹にて筆侍の会合が開かれた。 それは一つの提案書から始まった。 筆侍の一人が持ってきた「第参回筆侍テーマ提案書」と書かれた提案書。 その場で皆に配られた。 そこには関西挿絵師集団・七人の筆侍の熱き思いが書き綴られていた。 その中のポイントとなる文を書き出して説明していこう。 前回チャンバラセブンで『男の夢』を表現した筆侍は、さらなる『男のロマン』を追求すべきではないだろうか? いきなり問いかけられる“男のロマン”とはまさか?! そのまま読み進めてみた。 提案内容は文書の他にイメージ写真も配置するなど、ビジュアル的にも気をつかわれていて提案者のロマンがストレートに伝わってきた。 エロだった。 「女性の時代」と云われている現代社会。 その波は挿絵や広告業界にも顕著に現れている。 女性的、ファッショナブル、お洒落路線の如何にもな画風でもてはやされている今時のヤングな女性の描き手達。そしてその流れに迎合し、“如何にも画風”に合わせようとするヤングな男達。 我々は現代の男を取り巻くそんな“去勢感”を嘆く。 「エロ」此れを避けて通る理由が単なる業界のお約束事もしくはフェミニスト達への遠慮の塊だとするのであれば、侍としてはとんだお笑い種である。 まさにその通りだった。 侍と名乗ったからには避けて通るどころか、敢えてその道を選んで通ってやるまで。 たとえ荊の道であろうとも。 陰部を曝(さら)けてスッキリする。 その極めて男らしく力強い言葉に自分の中に潜んでいた熱い血潮がぐらぐらと沸き立ってきた。 その内容というのはこうだ。 世間では表向きの部分を“正”“陽”であるとするなら、“負”“陰”というのは、内側に閉じこめた究極の個性「エロ」ではないかと考える。 日頃我々絵描きは“負”の大部分を隠蔽し、恰好の良い“正”のほんの一部分のみを披露するというカタチで仕事に従事しているということになり、創造者としては由々しき問題であり口惜しい事態であるまいか。 ならばこの際“陰部”をさらけ出さずにおられようか、というのが今回の『七人の繪侶(エロ)侍展』の主旨なのである。 我々はコーチではなくプレーヤーなのである。我々絵描きは弁ではなく自らの行動と作品のみでメッセージを伝えなければならない。 “プレーヤー”という言葉に筆侍一同ぐっときた。もう胸にこみ上げてくるものを静めることなどできない。 筆侍Aが皆の顔を見渡しながら叫んだ。 「そう我々はプレーヤーなのだ。プレーを観せてなんぼの描き手なのだ!」 筆侍Bも興奮した。 「例えるなら我々はステージに立つ踊り子なのだ。」 筆侍Cが付け加えた。 「手を触れてはならない!」 同じ観せるのならば最高の自慰を! 「決まりだな」 筆侍Aが一言だけ言った。 そのときの筆侍たちにもはや言葉は要らなかった。 …というのも鍋を囲んでいてそれどころではなかったからである。 (エンディングは中島みゆきの曲でどうぞお楽しみください) そういうことから生まれた今回のテーマ。 どうぞ皆さん、ぜひ会場にお越し頂いて、我々の大胆に惜しげもなく見せる踊りっぷりをステージ脇でかぶりつきでご覧ください。 |