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『DESIGNMAI BERLIN 2003』参加
平成15年5月3日〜18日/ドイツ・ベルリン

『DESIGNMAI BERLIN 2003』参加日本人アーティストとして我々『七人の筆侍』の作品が、
はるか異国の地ドイツで紹介された。
ドイツの人々も筆侍魂を前に興奮したのは言うまでもない。

●展示風景
  • 上段左/運河の反対側にある川際にあるカフェから撮影したKunstfabrik。この運河には鋭利が石が埋められ、脱西しようとする東の人間をこのビルから監視していた。
  • 上段中右/Kunstfabrikの入り口。
  • 下段/Sparkaというアーティストのアトリエを借りて展示した”桃太郎”の作品。


【DESIGNMAI 2003出展について】

ドイツの首都ベルリン。第2次世界大戦後、形態の全く違う東西ふたつの国に分断されてしまったドイツ。13年前にようやくドイツが統合されるが、経済復興は長期に渡り苦難を強いられた。その中で首都として明らかに他のヨーロッパ都市に比べ途上段階であったベルリンが行ってきた政策はアーティスト達をはじめとする他地域からの移住者との共生であった。発展するベルリンの中でアーティストが主体となって行われた企画がDESIGNMAI 2003であった。ベルリン市内にあるあらゆる施設などがこのDESIGNMAI 2003に参加した。そのひとつであるKunstfabrik(芸術工場)と称される建物に40以上のアトリエが入っている場所がある。そのひとつであるGARDROBE23というグループが開く展覧会に参加させて頂いた。Kunstfabrikはベルリンが東西に分断される前は縫製工場だった。やがて戦争が勃発し、敗戦。東西に分断されている間は旧東ドイツ軍の監視を目的とする建物として利用された。つまりこの建物に沿ってベルリンの壁が建てられていたのだ。その名残があちらこちらで見られる建物に2002年度岡山県犬島で行われた維新派の公演中に民家を借りて開かれた作品展の大型ポスターを展示した。去年は『桃太郎』が題材であったのだが、ドイツ人にどこまで理解してもらえるか不安はあった。しかし初日からそのような不安は一掃された。来場者の数の多さも然ることながら、反応の良さに驚いた。来場者は”筆侍”という説明に大きくうなづいて興味深げに聞いていた。その中に「ドイツでいうRitter(騎士)ですね」と話される人がいた。「ヨーロッパでも日本で生まれた侍の歴史に類似したものがあります。ヨーロッパでは宗教的儀式に騎兵達が関与していく事によって確固たる身分を得た”騎士”という存在があったんです。その騎士こそが日本でいう侍ではないでしょうか?」興味深い話は尽きることはなかった。ヨーロッパ各地にいた騎士が存在していたが、このように現代のアーティスト達が中世の騎士に自分を投影するという試みはヨーロッパ人達には大変面ユニークだったようだ。


最後に私は以前彼らとの会話の中で非常に印象に残っているものがある。それは「我々には流派や名前を世襲することはない。一代限りのものなんですよね」という言葉であった。歌舞伎や落語の如く、名前を継ぐことはない。日本画の狩野派などのように流派の形式に従うこともない。自分のスタイルは自分で築き上げそして自分一代で完結させるのだという。これから”絵師”を目指す若者達にあえて告げたい。何とも格好良い生き方ではないか!


「堀江ジャンクション」編集部:永原達哉
(今回の出展に関して多大な協力をしていただいた)



「DESIGNMAI BERLIN 2003」公式サイト



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